「禅語」に学ぶ知恵~臨済宗・山川宗玄老師が語る~ 第1話
偉くならなくてもいい、有難いお坊さんになりなさい 永平寺第78世宮崎奕保禅師
「高瀬舟」森鴎外の典拠は「翁草」第117話から、知足、安楽死を題材に、、、
君不見 絶學無為閑道人 34世永嘉玄覺大師「證道歌」は建仁僧堂提唱中講座なり 師家小堀泰巌老師が
六祖慧能の法を嗣いだ弟子の一人に永嘉玄覺(ようか・げんかく?~713)がおられます。彼は六祖に相見したとき、錫杖を持ったまま六祖の椅子の周りを三度回って六祖慧能の前に立ちました。六祖が「沙門はもっと威儀を慎むものだ」とたしなめると玄覺は、「生死事大、無常迅速」と答えました。(『祖堂集』巻三、一宿覚和尚)。...
良いとか悪いとか云ふことは、人間が概念で定めたことで、決してよいもの悪ものと云ふものはありはしない。従って眞とか妄とか云ふこともない。是もなければ非もない。唯だ人間が因縁に依ってこれを眞と決め、これを是と定め、これを非と定めて、この二つが生ずるのである。
當處を離れぬと云うのは、此處をふみしめることである。時から云へば現在であり、人から云えば當人でなければならぬ。
令和3年1月30日、寒い朝。
證道歌。取不得,捨不得,不可得中只么得。默時說,說時默,大施門開無壅塞。有人問我解何宗,報道摩訶般若力,
證道歌、雨上がり清浄な早朝、雪山肥膩更無雜,純出醍醐我常納,
彈指圓成八萬門,剎那滅卻三祇劫