
比嶺大行満酒井雄哉大阿闍梨「寸歩不離」
「足が疲れたなら、肩で歩けばいい」
福島県小名浜から宮城県仙台まで夜な夜な歩いて泥棒に行った男の話。
酒井雄哉さんの回峰行の師匠、箱崎文応師が子供のころに聞いたという話。
泥棒曰、右足、左足って、体のいろんな部分を交代で意識しながら歩くんだ、右足が疲れてきたら左足、左が疲れてきたら右、という具合だね。いよいよ両足が草臥れたら腰、その次は首に意識を集中する。今度は右の方、頼むぞ。とその部分に気持ちを集中して歩くんだ。
[用意不用力」柔術の極意に通じる
そうして左の肩で歩いたり、右の肩で歩いたり、歩きながら肩を振ったりして、そこに精神を集中させる、その間に別のところがみんな休んでいる。
スピードが落ちることなく早足で仙台まで行けたんだ。
箱崎老師は、僕が千日回峰行をやるときに、参考にしたらいいと言ってこの話をしてくれた。
「お前も歩きながら休む方法を考えてみたらどうや」って。
人生を歩くっていうことにも、その原理を応用すればいいんのじゃないかな。

比嶺大行満酒井雄哉大阿闍梨曰
- 「一日一生」と思って生きる、今が一番大切だってことだよ。今自分がやってることを一生懸命、忠実にやることが、一番いいんじゃないのかな。
- 人生の出会いはある日突然やってくる。
- 自分は何のために生まれてきたのか、何するべきか問い続ける。
- 小林隆彰師(剃髪の師匠)曰、「答えを出したらお前それおしまいにしちゃうだろう、永久に考えてろ!」
- 肝心なのは答えを得ることじゃなく、考え続けることなんだな。
- 人は自然の中で生き生かされている。人間だって自然の一部、自然はいろいろな命が繋がり合っている、たった一人で生きている人間なんて誰もいない、自然の中に身を置いてみると、ああ一人ではないんだなあ、としみじみ思うよ。
- 息を吸って、吐く。呼吸の大切さ。「常行三昧」は90日の間寝ずにお堂の中をひたすら念仏を唱えてぐるぐる回る行。2日目で足が象の足見たいに腫れて痛くて歩けなくなった。師匠(小林隆彰)から聞いた話がふーと蘇ってきた。ミャンマーで「歩行禅」を学んだとき次々脱落者が出た、わしが成就出来た要は「呼吸だ」を思い出してやってみた。息を吐くときは「ナー」、吸うときは「ムー」、そしたら心が落ち着いてきた、体が楽になた。ぐるぐる念仏を唱えながら歩いているうちにもしかして自分の体の中に仏様がいるんじゃないかって気持ちにさえなってきた。それが、呼吸の大きな力を知った瞬間だった。
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