
臨済宗常栄寺専門道場師家 今井任桃老師「みどりなす ふる里尋ぬ吾うちに 縁に坐し吹く夕暮れの笛」
「恵日」第25号より 河本院長が感銘した今井老師の文の一部を転載(改訂7/11)
、、、さて、私たち人間は兎角すると名誉、財産、家庭など諸々の事柄に執れやすいものです。そして、そのなかでああでもないこうでもないと不満を抱いたり迷ったりしているのが常ではないでしょうか。これが昂ずると「鬱」や「気管支喘息」、「狭心症」や「胃腸疾患」など心理的な色彩の濃い「心身症」を引き起こしたりして精神科や心療内科のお世話になる事となります。
しかし、この様な日常の心の奥底には、本来少しも日常の心に左右される事が無い「心のふる里」があります。この心のふる里は何も特別な修行をした人間の心の中にあるものではなく、皆様方万人の心の中にあるものなのです。
只、私たちは日常の生活の中で、心の奥底にある心のふる里を忘れているだけなのです。その人が、この心のふる里を訪ねる回数が多ければ多いほど、その人の人生は豊かであり、少なければ少ないほど貧しいと云えましょう。さらに云えば心のふる里の風光と溶け合った生き方が最も望ましい人生と云えます。
私は此処で「心のふる里」と云いましたが、臨済禅師は「無位の真人」趙州和尚は「無」と云い「本来の心」「本当の自分」と云っても良いものです.
日本に於ける心療内科の草分け的存在であった九州大学医学部の故・池見西次郎名誉教授はその著書「セルフコントロールの医学」の中で
「信仰による治癒が民衆の間で、今日なお隠然たる力をもっているという事実は、現代医学が急速に見失いつつあるもの、すなわち、
①人間に本来備わっている治癒力への信頼
②治すものと治されるものとの信頼関係
③治療における愛や希望の持つ力
などを見直されなければならないことを物語っている」
と云っています。これは、くだんの心身症の人が教祖などを信奉、行をおこなうことなどにより「心のふる里」を訪れるきっかけができ、さらに、その人間に備わっている治癒能力と相まって治癒するのが全部と云わないまでも大半ではないでしょうか。、、、
この、心のふる里を再発見し、そこに住み、さらに心のふる里の風光に溶け合った生き方を身に着けるための場所が禅の修行道場です。、、、
よき縁に恵まれ、よき師家に就くのが一番です。、、、、
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