
譬喩即境界 境界即譬喩
極處即初門 初門即極處
禅の目的は不思議解脱の境界に在り
境界即に不可思議なれば一切の譬喩も亦た不可思議だ
譬喩と境界を別途に見るは修行未熟の境界だ
その昔(35年ほど前)私は臘八大接心に参座した。
第7夜に至り、禅堂で座っている私をつき動かしている偉大なエネルギー、生命体が持っている不可思議な力を体感した。
「父母未生以前本来の面目」という言葉が頭に浮かび、さては「このことか!」と体で納得した。
参禅をせず只々禅堂に座る私でした。
閑話休題
関口流柔術誠武館富田派第14代御宗家寺西弘陽師に入門した時、先輩、土佐英信流免許皆伝の木鶏さんが私に教えて「初門即極處」だと言われたことが忘れられない。
日本古武道伝_南龍整体術ミロク気功整体院 河本馨
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