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院長が独眼流伊達政宗を好きになった逸話

出典:愛知文教大学:増田孝「直筆を読む」伊達政宗書状

「政宗と利休」

伊達政宗は、秀吉の小田原征伐を耳にすると、その陣に降ることを意に決し、僅かに十騎ばかりを引き連れて、相州に赴き、単身秀吉の本陣へ行った。ところが秀吉は「草々味方すべきを、本日になりしは遅参も甚だしい」と詰めて会見を許さなかった。正宗は、やむなく底蔵に宿をとって、許される日を待った。

その事を聞いた古田織部が、利休にそのとりなし方を依頼した。利休は心得て底蔵の政宗を訪い、茶の湯を学ぶ事をすすめた。政宗は独眼で荒々しそうな武士だったので、利休は茶の湯によって、政宗の気力を和らげようとしたのである。政宗は利休の意を解して熱心に茶の湯を学んだ。

それを聞いた秀吉は「政宗は遠国粗野の者にして、夷狄の風に陥り武士の道も知らずと聞き及びしに、然に非ずして、万事心の付たる仕方、実に鄙の都人といわんものぞ」と、心とけ、会見を許した。

伊達藩ではこうした利休のとりなし方に感謝して、代々利休忌を営んだそうである。

「茶碗を砕く」

ある日のこと、伊達政宗は名物の茶碗で茶を飲んでいた。近習の者にもやかましく言って大切に扱うていたものである。政宗は茶を飲み終わってその茶碗を愛撫しているうちに、どうしたはずみか、手がすべって取り落とそうとしてはっと驚いた瞬間、常に信条としている「不驚」がむざと敗れたことに気づいた。「さても残念千万。我平生は申すに及ばず、戦場にても物に驚くことはなかった。この四寸にすぎぬ茶碗が値千貫というに心奪われ、不覚にも打驚いたは心外千万」といいさま、茶碗をとって、庭の沓脱石に投げつけた。さしもの名椀も微塵となって四散した。

一剣天に倚って春風を斬る。一椀地に砕けて迷夢を断ず。

「家康と政宗」

ある日、家康が政宗を茶事に招いた。家康は湯を汲もうとして、左に柄杓を構え右手で釜の蓋を取ろうとすると、釜の湯が熱していて、蓋の撮みが手もつけられぬ程熱くなっていた。家康はとりかけて思わず手を引くと、政宗は「フフッ」と笑った。

家康は、その笑い声を耳にすると、手をのばして蓋の撮みを握ってしばらくそのまま持っていたが、やがて「陸奥!釜の蓋などに手を引くことではないぞ」と云って、そのまま茶を点て、政宗にすすめた。

家康と政宗。虎視眈々とした二人の気概がよく現れている話だ。

「政宗と洒落」

大坂冬の陣の時、東西の和議が調うや、諸将は閑散のあまり「太平記」の闘茶の故事にならい、陣中で香合わせなどしていた。政宗が顔を出すと「幸の事なり。陸奥守殿もお嗅ぎあれ!」とその一座に加えてしまった。さて賞品を出し合うことになって、諸将は”鞍”、”泥障”、”弓箭”など出したが、政宗は腰に付けていた小さな瓢箪を出したので、人々は「さても可笑しき景品かな」と、これを取るものがなかった。それで瓢箪は会主の家臣が貰うことになった。さて、会が終わって諸将がそれぞれの陣屋に引き上げるため外へ出ると、政宗はそこにつないであった自分の乗馬を「それ瓢箪から駒が出たぞ!」と、鞍、泥障など飾りのままを、某に与えて、自分は徒歩でスタスタと帰って行った。

以上。出典は「茶人のことば」井口海仙著S31.7.10初版発行¥180.淡交社より。

日本古武道伝 南龍整体術ミロク気功整体院 河本馨