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證道歌を語る=澤木興道老師、眞をも立せず妄本空なり有無倶に遣れば不空も空なり。

證道歌を語る=澤木興道老師、眞をも立せず妄本空なり有無倶にに遣れば不空も空なり

信心銘には『眞を求むることを用ゐざれ、唯須らく見を息むべし』とある。して見れば、眞妄と云ものは見の上にあるのである。見とは見込みと云ことである。或る人は金をこの上もない寶だと思ってゐるし、或る者は金が敵だと云ってゐる。自慢してゐる奴もあるし、金を持ったばかりに命を縮めた奴もゐる。或る人が『やうやう此の頃になって、なんにもないと云ふことが、世界が廣うなったことだとよく分かりました』と云ふてきた。それだから、眞とはどんなこと、妄とはどんなことと云っても、それは人間が決めたことで、そのものには一向きまりがない。今日の言葉で云へば、眞と云ふのも、妄と云ふのも概念であって、これが眞だこれが妄だと云ふものはない。唯だ、それがそれであると云ふだけの話しである。

 良いとか悪いとか云ふことは、人間が概念で定めたことで、決してよいもの悪ものと云ふものはありはしない。従って眞とか妄とか云ふこともない。是もなければ非もない。唯だ人間が因縁に依ってこれを眞と決め、これを是と定め、これを非と定めて、この二つが生ずるのである。