令和3年雨安吾入制開講、證道歌、眞をも立せず妄本空なり、有無倶に遣れば不空も空なり。

真不立,妄本空,有無俱遣不空空,

二十空門元不著,一性如來體自同。

心是根,法是塵,兩種猶如鏡上痕,

痕垢盡除光始現,心法雙忘性即真。

嗟末法,惡時世,眾生福薄難調製,

去聖遠兮邪見深,魔強法弱多恐害,

聞說如來頓教門,恨不滅除令瓦碎。

作在心,殃在身,不須冤訴更憂人,

欲得不招無間業,莫謗如來正法輪。

澤木興道老師「證道歌を語る」

眞をも立せず妄本空なり

有無俱に遣れば不空も空なり

眞と妄と

「しんをもりっせずもうもとくうなり」此の眞とは一體なにか、妄とはなにか、梟に訊けば夜を昼と云ふであろうし、魚に尋ねれば人を溺らす水が命の親であろう。だから眞妄とは人間が仮に定めたもので、本當の世界に、は眞もなければ妄もない。信心銘には「眞も求むることを用いざれ、唯須らく見を息むべし」とある。