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湊素堂老師墨蹟「生死事大」「光陰可惜」

六祖慧能の法を嗣いだ弟子の一人に永嘉玄覺(ようか・げんかく?~713)がおられます。彼は六祖に相見したとき、錫杖を持ったまま六祖の椅子の周りを三度回って六祖慧能の前に立ちました。六祖が「沙門はもっと威儀を慎むものだ」とたしなめると玄覺は、「生死事大、無常迅速」と答えました。(『祖堂集』巻三、一宿覚和尚)。

 

玄覺にとっては、禅の修行者は礼儀作法よりも、生死の問題こそ解決しなければならない問題だ、と言わぬばかりの勢い。

 

六祖は沙門に生死などあり得ない、時間に遅速などないと言ってきかせますが、玄覚はなかなか負けていない。
ひとわたりの問答をすると、彼は六祖の道場を去ろうとしました。どうしてそんなに急ぐのかと六祖に引き止められ一晩止宿すると翌朝、六祖慧能に出会ったお蔭で、もはや生死が問題でなくなったわいと言って山を降りました。
この因縁により、永嘉玄覺は「一宿覚」と呼ばれるようになりました。
さて、「板」に書いてある、「生死事大、光陰可惜、無常迅速、時不待人」ですが、「己事究明」(自己とは何かの追求)を本命とする禅僧にとって、「生死」はまさに喫緊の課題です。これを解決しなければ、わざわざ頭を剃って禅僧となった意味がないのですから。

禅林素馨  九拝